MY・gallery " watercolor"

水彩風景画を紹介しています

2023-03-01から1ヶ月間の記事一覧

野の花 1 八島湿原にて 野に咲く花の多様性に感心していた。人の植えた庭ではない景色に目覚めた。

浜辺にて 従姉が亡くなって、また世界が縮んでしまった。この世に私の世界はまだ残っているのだろうか。

物思い モーヌの大将というフランス映画にはまって、フランスの片田舎まで行った。若い時の熱中は、醒めてみれば「あれは何だったんだろう」と思うしかない。

幻想 少女と老女 20代の頃、どうしてこんなイメージが浮かんだのか、絵の具を塗り重ねていた記憶がある。死神のイメージだったのか。人生の儚さへの恐れだったのか。

裸婦 学生時代の絵が出てきました。まだ何枚もあると思うけど、処分したのか。 石膏デッサンに裸婦、当たり前のようにカリキュラムにあったが、今では何の意味があったのか、定かではない。 今でも入試に石膏デッサンがあるのかな?

操車場 2 人の手で動いていた時代は、人の手で修理できたけど、今はもはや手も足も出ない事態に。機械について行かなくてはならなくなって、自分の呼吸がおかしくなってきた。

操車場 50年前のスケッチが出てきた。今は、ビルとどこの国かも分からない住宅街(住宅メーカーの乱立)に。日本の風景はどうなっていくのだろう。

チューリップ 水彩一気描き。楽しかったな。絵の具遊び。その時だけでいいのかも。

福島の夜 原発の壊れた建屋の上のヘリコプター。上から水を撒くという原始的なことしかできなかったのを、テレビの中継を見ながら、呆然としたことを今でも思い出す。あのヘリコプターの操縦士の方は、死を覚悟していたと思う。あんな子供だましのようなこと…

桜吹雪 その後、気仙沼大島に行った時のこと。山の上から港を見下ろしている時、一陣の強風が吹き、「忘れないで」という声が聞こえたような気がした。その場にいた人々も、思わず振り向いた。

椿 椿を丹精込めて育てておられるのは、男性ばかりです。なぜか女性はいません。 いつも、一杯手に抱えて持ってこられていたその方も、もはやこの世におられなくなりました。花の思い出は、いつも切ない。 水彩画の勢いが出ていたらよいのですが。

鉄橋 何でこんな絵を描いたか、分からない。どこだったのかも。境界に興味があったのか。

グラジオラス イランでは車の道路の道端で次々に並んで売っていた。好みの花だったのだろう。

小菊 庭先に咲く小菊のある生活が私の憧れだった。子供の頃、田舎では、毎朝仏様にお供えするために、どこでも植えてあった。 そんな暮らしは、もはや失われつつある。神も仏もない暮らしは、何をもたらすのだろう。

トルコ桔梗 昔ながらの花。 今は、無限大に品種ができて、「さあ どれにするか」悩みが増えるばかり。 スーパーの棚で「私を選んで!」と商品が溢れている。資本主義の行く末は、人を不幸にするのかも・・・。選ぶだけで時間が失われていく・・・。

アイリス 平面を意識して描いた。描いている時は、何も考えていない。描くことがうれしかった。前より上手になったと思う自己満足。それの繰り返し。後から振り返ると、千鳥足?

雪柳とスイトピー 今でもワクワクするのは、絵の具箱や色とりどりの鉛筆、サインペンなど。カラフルが好きでたまらない。それだけで幸せ。 ミノムシ色の服を着ていらっしゃる方を見て、「人生・損してるなあ」と思ってしまう。 戦場、被災地、みな中継の映像…

ストック 房総半島の白間津の花畑も満開でしょうね。春は花粉と共に来る。うれしくない今日この頃。

赤いバラ 油絵に夢中だったころ。ガラスに目がなかった。